東北大震災B


4 発生東日本大震災


4.1 東京の帰宅避難民(3月11日)
彼女は3月9日の三陸地震の時、東京医科歯科大学病院で診療を受けていた、ゆっくりと、ぐらりぐらり揺れ、病院は騒然となり、どうなることかと恐怖を感じたという。「三陸沖地震と関係はない」と気象庁は報道したが、実際これから起こる大地震の前震になる。
3月11日(金)は午後から区が行う体操教室があり、会場は自宅より離れているが1回100円ということで毎回楽しみにしている。体操中の14:46分頃東日本大地震が発生した。体育館はギシギシと大きくゆれ、天井の照明もユサユサとゆれ、キャーキャーとどよめき右往左往した。皆体操マットを頭から引っかぶり、恐々と耐えたという。交通機関は一斉に止まり偶然居合わせたタクシーに乗り、渋滞のため途中からは徒歩で帰った。

ゆっくりした揺れから4階のフロアは大きく揺れ始めた。柱や壁はミシミシ音をたて、ビル全体が震動し備品もガタガタと横揺れし、避難するにも机につかまるほどであった。この後ネットTVは「ピロピロ・・ピロピロ緊急地震速報がでました。強い揺れに警戒をしてください」。地震警報は時間をおいて数回あった。後は余震と思ったが、後ほど揺れを強く感じた。交通機関か不通になり、御茶ノ水からまず歩き途中タクシーを拾って帰ることにしたが予想は外れ、結局6時間を要して帰宅した。

靖国通りの九段下にさしかかった時、物々しい警官が交通整理をしていた。赤色灯の救急車とパトカーが九段会館の入り口に停車し、尋ねたら事故があったことを聞いた。
九段会館では東京観光専門学校の卒業式中に天井が落下した。この会館に行ったことはあるが、あまりにもレトロであったと記憶している。意外に堅牢を感じたのは地震のさなか危険を感じて見上げていた20階くらいのビル建設のクレーンで揺れもしなかった。後でわかった東京タワーのアンテナが「く」の字に曲がった理由はなぜなのだろうか。

帰路の人々に混じりひたすら歩いていると方角を尋ねる人が多かった。青山通りにでる道路を間違い、遠回りをしてしまった。避難道路を兼ねた地図の掲示板の数は、いたるところにあり有益であったが、その地の詳細な地図で、問題は地図をはみ出た部分が道路標識のように単に方向を示しているため、その先が想像できない人が多かった。表示されていない先の幹線道路や駅名、距離を表す工夫が必要である。

トイレはコンビニや商店が非常に融通をしてくれた。青山大学は薄暗い校舎で休憩所を提供していたが、積極的でなかったのは、準備不足や校舎の新築工事中に理由があるかもしれない。帰路途中このような提供は青山大学だけで、私学は国が私学に対して助成をしており、国民の援助施設として、新たな助成金なしでこの役割を担う必要がある。

渋谷の郵便局は本局になっており、24時間営業の関係なのか、勤務延長している職員が多数おり、ホールは乳児を抱えた母親の休憩場所にもなり安心スペースを提供していた。郵政は行革で国から民間に、これをまた国に戻すため社長まで交代させ、宙ぶらりんにしている。局員のこのようなサービスは国の管轄ではできないものである。

渋谷は帰宅する人々で非常に混雑していた。特にここから反対側の池袋方面は歩くには距離がありすぎる。バスの乗車客は長蛇の列を作っていた。渋谷から下北沢は散歩コースで約一時間である。東大駒場の線路脇に国際交流会館なるものがある。外観からわからないが部屋の点灯は数箇所で、空き部屋があり国費の無駄でなればよいが。

4.2 巨大地震
2011年3月11日2時26分 東北地方太平洋沖にM9.0(M8.8はその後M9.0に変更)の巨大地震が襲う。地震調査委員会は三陸沖の4領域をそれぞれに個別にとらえて監視していたが、宮城県沖太平洋側寄りの領域で断層の跳ね返りで地震が発生し、福島沖、茨城沖の4領域の地震を同時に誘発し巨大地震となった。岩手から茨城までの距離南北400km東西200kmの範囲で地殻を変動させる広範囲な地震を発生し、まさかの想定外の巨大地震となった。国土地理院はGPSの観測で最大4m東南東に移動し海岸は陥落したと発表した。
この巨大地震の震源地の深さは24km、津波の高さは震源地の深さに影響し最大になるのが深さは20kmといわれている。大規模な津波が岩手から千葉までの太平洋沖を一気に急襲し大被害をもたらした。
8日の前震をもって地震警戒をせず想定外の地震として片付けたのが問題であった。地震予知テーマについては、国は予算の配慮をしている。関係者は責任を自覚しなければならない。もし研究者に地震論理の派閥ができて自由な議論ができない硬直性があれば改革をしなければなりません。地震の予知の警鐘は国民の混乱を招くため慎重に行うべきとの考もあるが、日常生活で国民に地震に備える警鐘は、その事態が来なくても、国民は地震予知学者に責任を押し付けることはないと思う。東京の大地震はたしか昭和60年代ごろ地震はあってもおかしくないといわれていたが、もし前震の兆しがあれば、勇気をもって日常生活における地震警戒の警告をすべきである。
気象庁は地震により電源や回線が不通になり観測データの採取できず、津波の到達時間ははっきり表明をしていないが、避難民は地震発生後30後ぐらいの短時間の襲来としていっていた。

【 港湾航空技術研究所、東大地震研究所現地調査 (福島県は除く)】
(青森県)
八戸港 6.4
八戸港周辺 8.4
(岩手県)
久慈港 8.5
釜石港 9
大船渡港 9.5
(宮城)
女川漁港 14.8
石巻港 5
仙台新港 8
仙台空港周辺 12
(福島)
相馬
福島原発 推定14
いわき市
(茨城)
平潟 7.2
磯原 4.8
日立 4.2
大洗 3
鹿島港 5.7
(千葉)
銚子 3
外川 5.3
飯岡 7.6
太原 4.2
勝浦 2.2
根元 2.6

【図1 地震で破壊された領域 毎日(12日朝刊)】



【写1陸に押し寄せ、家屋を飲み込む大津波 名取市 毎日(12日朝刊)】



【写2大津波に襲われ道路や建物がのみ込まれる仙台空港 東京(12日東京朝刊)】



【写3 津波が押し寄せる海岸。中央は広野火力発電所 読売(12日朝刊)】



【写4 住宅に乗り上げた船 気仙沼 日経(13日朝刊)】



【写5 JR常磐線の車両 福島県新地町 産経(13日)】



【写6 道路陥没 水戸-阿見インター 産経(12日)



【写7 消火活動が続くコンビナート(コスモ石油千葉製油所) 毎日(13日朝刊)】



【写8 はっきりと曲がった東京タワーの頂上部 読売(12日朝刊)】



4.3 新幹線
新幹線はすべてセーフストップして一切の事故被害はなかった。東北新幹線は那須塩原〜盛岡駅間、山形新幹線は線路が甚大被害にあい、約600箇所が寸断され4月に復旧の見込みとなっている。秋田新幹線は3月18日秋田〜盛岡は復旧した。
脚光をあびた東京〜青森間に3月5日に運行したはやぶさ(時速300km/h)も地震に、よりわずかな日数の運行で中止となった。茨城県の震災で新幹線の車両部品の製造ができなくなり新幹線の保守に影響を与えている。
在来線は激しい地盤の変形で線路が曲がったり浮いたりしている。新幹線は高架線路で橋脚が地盤の変形を吸収したため橋脚、架線の補修が急務になっている。3月12日最速3時間45分の新大阪と鹿児島中央を結ぶ山陽九州新幹線鹿児島ルートが開通し、「みずほ」、「さくら」の運行を開始した。

4.4 東京の地震被害
地震の揺れは場所により大きく変わっていた。田町駅の周辺ビルは波を打って揺れ、工事中のクレーンに恐怖を感じたと住民はいう。4階までは軽いものは落下する程度で、それ以上の階は揺れが大きかったという。
主な被害
町田市ショピングセーターの立体駐車場のスロープが崩壊した。
東京タワーアンテナが曲がる。
東京スカイツリーは被害なし。
江東区青海 建築中の海上保安庁のビルでアスファルトを溶かす機械が倒れ引火のため火災。
江東区の金属加工工場で、男性2名が有機物質トリクロロエチレンを吸い死亡。
千葉県市原市の石油精製所火災。
九段会館で天井崩落事故で一名死亡。
三鷹市立第三小学校の体育館の内壁崩落でけが人発生。
新宿高層ビルは弓なり揺れたが被害はなかった。
港区の特許庁付近、9階建てのビルでガラス破損し落下した。
東京ディズニーランドの駐車場は液状化で使用不能。電力の節電で開園できず。駐車場を除き液状化対策をしていたため、駐車場に被害が出た。
浦安、船橋では液状化により道路に泥水があふれ、マンホールに段差ができる被害発生。
船橋では一週間ぐらい上下水道が断水をした。


【写9 浦安市今川の液状化による被害】

東京では地震のため帰宅できない困難者は区市町村の用意をした避難所は約1000箇所で午前4時ごろ帰宅難民は約10万人となった。
(2017年3月22日掲載)