千葉冨津市東京湾観音


 千葉の冨津市に東京湾を一望できる、高さ56mの東京湾観音様があることをTVで知った。房総半島から富士山は無理としても、せめて対岸の横須賀あたりを展望できると期待をした、思いつきのようなトリップ(小旅行)であった。



 前から天気予報を見ながら、快晴のこの日とこの日のいずれにしょうと予定を立てていた。4月16日快晴、今だと早速出かけた。JRにしようか、バスにしようか、悩みは東京駅に着いてから決めようと思い、案内所を尋ね、料金も安く混雑しないバスで君津駅に行くことにした。東京駅八重洲中央口の外堀通りの向かえの住友生命の前にバス停があることも初めて知った。海底トンネルの海ほたるを通る約1時間の行程あった。
 問題は君津から東京湾観音のある佐貫駅までの列車の時間であった。約1時間に1本の電車で最悪1時間待つことになる。
幸いバスを降り、真直ぐ君津駅に向かい、内房線館山行きの普通電車に乗り、無人駅の佐貫町駅に行くことができた。


 

 毎日の2kmの早歩き散歩で、歩くことには自信があり、佐貫町駅から東京湾観音までの徒歩に不安はなかった。佐貫町駅の前の国道465号を君津の方に歩くこと15分位で、観音まで距離は2kmの東京湾観音表参道を登る。坂道の参道で1時間近く、ゆっくりと散策気味に登った。

 舗装された参道は、木々がアーケードのように覆いかぶさり、葉桜のわずかな花びらが、ひらひらと散り終わろうとしていた。車で向かう人が多かったが、途中3人の下山した参拝者とも出会った。
 途中トンネルの残骸があった。日本語で観音隧道(すいどう)の名板がついていた。トンネルと同義の日本語は隧道になるが、本来の意味は墓道で、これから心霊トンネルといっているが、今は使われていない小道のトンネルの残骸か、観音建設で使用したトンネルかもしれないと思った。




 登り切ったあたりで平らな道が続き、異様に背が高い東京湾観音が目に飛び出した。


東京湾観音の諸元




 観音像は昭和32年に工事が始まった。この時代といえば、思い出すのは、千葉県出身の立教大学の長嶋茂雄が巨人に入団する前の年で、人々は衣食住がままならない貧しい戦後の生活をしていた。君津生まれの宇佐美政衛氏は私財を投じ、平和祈願と戦没者慰霊の東京湾観音の建立をした。
 観音像で日本一の高さは1991年建立したの仙台大観音像で高さ100m、今では全国に似たような観音像が幾多もある。
しかし東京湾観音ができた時代では当然日本一の高さであった。
 鉄筋コンクリート製で像をつくるには、ものすごい業が必要である。しかも高さ56mの建築物であり、高さで荷重がかわるため、必要な強度のコンクリートをつくらなければならない。高所で行うセメントを流す枠作り、コンクリート強度はセメント、水、砂利、砂、温度、湿度、養生期間の調整で決まり、さらに塩害を防がなければならず、高度なコンクリート技術があったと想像している。
 観音像の中央に鉄筋コンクリートの柱があり、廻るようにらせん階段で最上まで登ると東京湾を望む場所がある。展望場所は観音像のどの部分かは地上から見えなため不明であるが、頭の冠り付近と思っている。
 残念ながら天気はよかったが、上空には黄砂見たいな、もやがかかり、しかも太陽光が強く、対岸の写真は不発に終わった。







らせん階段の途中途中に、仏像が安置されていた。













 車を使用しない、東京から東京湾観音の見物には、往路に5時間位いかかった。帰路はJRして佐貫町駅から品川駅までである。佐貫町駅から普通電車で君津駅、君津駅からJR内房線快速逗子行で品川まで行く。初めて分かったが、JR内房線快速逗子行は千葉駅から総武本線快速逗子行となり、君津から品川まで直通電車で2時間乗車して帰ることができた。
 結局、小旅行といっても、交通機関が電車やバスであったので、7から8時間の一日旅行になってしまった。
(2017年5月7日掲載)